プロフィール

施術者・運営者

施術者・運営者

岡本よう子
EK(エンライトメントキネシオロジー)修了
1からはじめるキネシオロジーインストラクター
双申認定TG(トータルゲーム)准インストラクター
その他、タッチ・フォー・ヘルス、3 in 1(スリーインワン)、ブレインジム101、ビジョン・サークル、Optimal Brain Organization(O.B.O)、Integrated Healing(IH)など、幅広い分野のキネシオロジーを学ぶ。

短大卒業後事務職として就職。
両親の病気をきっかけに仕事を辞め、介護をしている時期にキネシオロジーと出会う。
長期に渡る介護で体調を崩し、気持ちも落ち込んでいた時に個人セッションを受けたことで体調が安定し、思考も上向きに変化する。
介護で悩んでいた経験から、長期間の介護で疲れている方のサポートや、また日々の生活に閉塞感を感じている方へ何らかの働きかけができるのではないかと考え、セラピストを目指す。
現在は、心理カウンセリングを中心にセラピーを行っている。
趣味は旅行。特にハワイが大好きな場所。

ハワイ〜真面目な私のヒーリング〜

ヒーリング・セッションを行うようになったきっかけ

両親の介護で追われていました。
こんな生活いつまで続くのだろう、もう終わりにしたいけど
死んでほしいわけではない。そう思ったときに、初めてキネシオロジーのセッションを受けました。

20歳で就職しました。
一般事務職で、勤怠管理やワープロ打ちと書類の整理、お茶汲み等々。
その仕事がしたいと思って就職したわけではなく、お給料さえ貰えればよいと思って就職したので、将来のキャリアを築くことなど全く考えていませんでした。
5年間正社員として勤めた後派遣社員になり、新しいパソコンのスキルを磨くためのトレーニングや、習い事をたくさんしました。
この時にはまだ、具体的に何になりたいという目標がありませんでした。
そのうち両親が次々と具合が悪くなり、自分のスキルアップに使える時間がなくなりました。残業も断って早く帰宅せざるを得ない状態が続き、何のために働きたいのか分からなくなっていました。

ある年、手術後の母が認知症を発症しました。 術後の食事管理や通院の付添い、日に日に増えていく洗濯物に追われて、仕事との両立に疲れ切っていきました。 当時始まったばかりの介護保険制度も、父がサービス利用を嫌がったため全く恩恵にあずかることができず、6年間自宅で世話をし続けました。

2006年、東京・四谷にあるエイトスターダイヤモンドの天夢で毎週開催している『木曜会』で、齋藤慶太氏の講演を聴き、初めてキネシオロジーを知りました。
家事に追われてすぐに学び始めることはできませんでしたが、身体に潜在意識の声を聴けることがとても興味深く、心に響いたのを覚えています。

翌年、父に癌が見つかりました。 かなり進行しているとのことでしたが、痛みはあまりなかったので自宅から通院することになり、私はついに仕事を休業しました。

2008年に、教育キネシオロジーの一つである「ブレインジム」を受講しました。
ブレインジム創始者のポール・デニッソン博士と
2015年・ブレインジム創始者のポール・デニッソン博士と『木曜会』にて

26種類のエクササイズを順に習っていくのですが、関節が固いうえにバランス感覚も悪く、うまく身体を動かすことができませんでした。それでも、ストレスを感じている状態をイメージしながら身体を動かしている時と、楽しいことをイメージしながら身体を動かしているときでは、あきらかに楽しいことをイメージしている方が、よく動けるのが分かります。
当たり前のことのようですが、当時はあまりにも感情に蓋をした状態が長く続いていたために、ストレスが身体を固くしているのかもしれないこと、そして自分がストレス状態にあることにさえ、気付かなくなっていたのです。

その後急に視野が狭くなったような気がして眼科に行ったものの「医学的には問題ありません」と言われたり、家庭用の血圧計では計れないほど血圧が高くなったり、身体の不調が続きました。
このままでは私の方が先に死んでしまう…今度は父の意向は無視して介護保険のサービスを利用すべく手続きに行ったものの、こちらが期待するほどすぐには要介護度の認定がされるわけではないですね、ストレスフルな状況で結果を待っている時の1ヶ月は、ものすごく長いものです。

こんな生活いつまで続くのだろう、もう終わりにしたいけど死んでほしいわけではない。そう思ったときに、初めてキネシオロジーのセッションを受けています。 目標は「冷静に話をする」。そんなことはできないと思い込んでいる状況での目標設定だったのですが、クールダウンが一番必要な時期でもありました。父が亡くなる10日前のことです。

ルビンの壺キネシオロジーのセッションを受けて、私はルビンの壺の図のように別の視点があり得ることを意識できるようになったのではないかと思います。
ルビンの壺(ルビンの盃、ルビンの杯ともいわれる)の図というのは、壺(盃、杯)に見える図形が、見方によっては二人の人が向かい合っているようにも見える図のことで、まさに、見方を変えるだけで心の持ち様が変わったのです。両親の看病・看護がただただ大変だった、という視点だけでなく、子供に世話をされる親の気持ちを慮り、また両親がどんな思いで私を育ててくれたかを想像することができました。視点を切り替えた時、私は初めて両親や今の出来事に深く感謝しました。
それからは、だんだん、精神的に落ち着けるようになっていきました。

思えば、生まれた時から育てやすい子供だったらしい私は、大きな反抗期を通過することなく大人になり、自分が本当は何をしたいのかが分からなくなっていました。
父のことがあって何度かキネシオロジーのセッションを受けたおかげで、子供のころから溜め込んでいた心の澱のようなものを解放するにつれて、私は本来の自分を取り戻したのです。
それどころか、ますます自分の世界を広げつつあることを実感しています。
だって、ほんとうの望みに気がついて、やりがいのある仕事を見出すことができたのですから。

キネシオロジーに出会えて本当に良かった。
これからも、多くの方にお伝えしたいと思っています!
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